2017/04/18
死に損なった(パートⅡ)
いやはやブログを更新したとたんに従姉妹の内科医から、メールが入った。
見舞いを兼ねて『家族が執るべき風呂での失神者対処法』等々の説明であった。
そうこうするうちに『ムスコがブログを読んで、タイヘンだぁ!と言ってきたけどぉ~!一体どうなってんの?』と
年老いたアイジンから電話が入ったり、爺が後見人をしている「京都弁のウルサバーサン」から
『ワタシより先に逝ってどうすんのぉ~!ちゃんとワタシの葬式済ませるまで死んだらアカンでぇー!』と緊急電話が入ったりで、
病み上がりの身に追い打ちをかけられた。
ブログを更新しているんだから生きてるに決まっているのじゃが、世間は喧しい。
そういえば5月13日14日は八ヶ岳山麓の清里で家族だけの金婚式、27日~31日は娘の嫁ぎ先の両親と
レンタルキャンピングカーの旅が控えておった。ノンビリひっくり返っている訳にいかんのじゃった。
さて、奥方様から電話連絡を受けた大家さんは親友がお出かけ中で、息子の郡上市職員が真っ先に駆けつけてくれたらしい。
ご丁寧にも上下の鍵だけでなく写真のロックもシッカリかけておいたので、ガラスを割ろうかと思うほど開錠がタイヘンだったらしい。
独居老人は大したカネも持ってネェんだからドロボーより孤独死対策の方が大切で、
緊急要員がいつでも踏み込めるようにしておくべきである。
万一の事態に備えて郡上市が用意してくれた『緊急情報メモ』というのが冷蔵庫に収納されている。
改めて見直したら緊急時の連絡先がメインであった。
脱力状態の74㎏を風呂から担ぎ上げるのはタイヘンなことだったようで、お隣の喫茶店マスターまで動員して
玄関先に敷いたフトンに寝かせてくれたあたりで少しだけ意識が回復し始めた。
この日は濃霧で郡上白鳥からの救急車の到着が遅れ、お蔭でストレッチャーを用意してもらわなくても
救急隊員に両脇を抱えられて自力で階段を下りて乗り込むまでに回復していた。
濃霧なので高速道路ではなく一般道を走ります。という隊員の言葉はハッキリ理解できたが
次に気を失ったのは鷲見病院でのMRI検査中であった。
これは気を失ったと言うよりはいい気持ちで眠ってしまったのであろう。
深夜まで付き添ってくれた大家さん夫妻が『こいつは独り暮らしだから、今夜は病院に泊めてやってほしい!』と交渉してくれたが
MRIや血液検査の結果『異状なし』だからお引き取り下さいと冷たいご託宣だったらしい。
結局タクシーでグリュンに戻ったのは2時過ぎだったかナ?
瀬戸市に住んでる娘夫婦が駆け付けてくれたのは土曜日の午前3時を過ぎていたようで、爺は自分のベッドで爆睡していたらしい。
土曜日の夕方にはご近所へのお礼を持って奥方サマが来てくれた。
いやはや周囲の皆様や家族のお蔭でメデタシメデタシの一件落着であった。
(風呂での死亡事故は年間3万人を超えるらしい)