2015/06/22
ササユリが咲き出した!
分水嶺公園ではササユリが咲き始めた。
カサブランカのようなド派手で強い香りと異なり、楚々とした佇まいと柔らかな香りは
高原に似合っていて清々しい。
とマァ風流なことを言っているヒマもないほど多忙な毎日であった。
実は6月23日から約2週間、スイスハイキングに出かけるにあたり『早すぎる暑中見舞い』に
『注文のある方はお早めに…』とのニュアンスを臭わしたところ脅迫状と勘違いしたのか
駆け込み発注が殺到したのである。
自宅へ戻る前日も早朝4時半から働き出し日付が変わるころになって一段落、
ブログの原稿を打ち始めたのである。
三年前に一緒にスイスを旅行したカメさんは今回留守居役に回って貰ったので、
気の毒にアオリを喰らってお疲れ様なのだ。
『カメさまホトケさま!』と御呪いをしながら2週間元気でいてくれることを願っている。
そもそも事の始まりは娘の舅・姑が『死ぬ前にもう一度ヤスダさんとスイスを歩きたい!』と
言い出してからのことである。
これを無下に断ると『嫁イビリ』に進展して娘に迷惑が掛かりかねないと(これは真っ赤なウソであるが)
借金をして出かけることになった。
グリュンの経営は原料肉の仕入れ資金を捻出するのさえも四苦八苦で全く余裕がなく、
我が家の最高権力者もヒザが不調で次のスイスは車椅子になるのではと心配していたので、
この際「行っちまおう!」と承知することになった。
更に仙台の兄夫婦がこの計画に乗っかってきたので後期高齢者2名も加わって三夫婦の旅となる。
ビンボーな我々は一年前から計画を立てる楽しみを味わい、帰ってからはビデオの編集をしながら
更に1年間楽しむのである。
円安だけでなくユーロ圏の政情不安でスイスフランが暴騰したこともあって、
今回の旅はかなり高くつきそうなのだが、世の中MARSやらエボラ出血熱やらテロやらと
不安材料が次から次へと出て来るのでこの先一体どうなるのやら分からず、
結局この機会を逃す訳にはいかなくなってしまった。
スイスでは『メシ・フロ・ネル』くらい喋れれば、アトはボディラングェイジでなんとかなるし、
最高権力者からクレグレも忘れ物のないようにと言われているが、パスポートとキャッシュカードと
着替えのパンツがあればいいとタカをくくっている。
馬車から落ちたりハイキングの途中で転んでもズボンがドロドロになっているのはヘッチャラだが、
病院に担ぎ込まれた時にパンツまで汚れていてはヤッパリ恥ずかしいのである。
奇しくも我が小舎のプランターではスイスで買ってきたタネから育ったエーデルワイスが開き始めた。
我々はァ~!ヤッパリ、スイスへ行く宿命なのじゃ。
7月5日の朝までは、爺のケイタイへ電話しないよう暮々もお願いいたしますダ!
前述のように亀山氏が留守番をしてくれているので、御用の方は固定電話の方へおかけください。